愛についてのブログ

今の時期は、ちょうど母の日と父の日の間です。変化の多いこのシーズン、どのように両親とお祝いしようかとあなたも考えているかもしれません。もしかしたらAmazonで両親のために完璧なプレゼントを探しているかもしれません。もしかしたら母の日や父の日を想うと少しほろ苦い記憶があるかもしれません。しかしこの時を使って、無条件の愛を私たちに示してくれた両親の存在(または親に代わる存在)を神様に感謝しましょう。

 

そもそも愛とは何なのでしょう?

愛を深く説明している、有名な聖書箇所があります。

愛は寛容であり、親切です。愛は決してねたみません。また、決して自慢せず、高慢になりません。決して思い上がらず、自分の利益を求めず、無礼なふるまいをしません。愛は自分のやり方を押し通そうとはしません。また、いら立たず、腹を立てません。人に恨みをいだかず、人から悪いことをされても気にとめません。決して不正を喜ばず、いつも真理を喜びます。愛は、どんな犠牲をはらっても誠実を尽くし、すべてを信じ、最善を期待し、すべてを耐え忍びます。

1コリント13:4-7 JCB

 

この箇所から、愛についての16の行動を見ることができます。愛の行動が8つ、愛ではない行動が8つあります。

愛とは:

1.忍耐する – 神様は冷静さを失いません!

2.親切 – 親切な行為(私たちの手を通した)

3.真理を喜ぶ

4.常に守る

5.常に信頼する(最高の状態を信じる)

6.常に期待する

7.常に忍耐する

8.誠実を貫く

 

愛ではないもの:

1.妬み深い

2.自慢する

3.高慢になる

4.無礼な振舞い(恥ずべき/無礼な態度)

5.自分の利益を求める(わがまま)

6.怒りやすい(苛立ちやすく過敏)

7.恨みを抱く

8.悪(間違ったもの)を喜ぶ(祝う)

 

興味深いことに、この聖書箇所では、何が愛で何が愛ではないかを説明しています。もしコリントでの説明が不十分と感じるならば、神様は彼自身の行動によって、私たちに「愛とは何か」を示してくれています。

実に神は、ひとり子をさえ惜しまず与えるほどに、世を愛してくださいました。 それは、神の御子を信じる者が、だれ一人滅びず、永遠のいのちを得るためです。

‭‭ヨハネ‬ ‭3:16‬ ‭JCB‬‬

 

この聖書箇所で書かれている愛とは、ギリシャ語で「アガペ」といわれます。アガペとは、神様の活発な愛を指しています。神様はひとり子を世に与えることで、「世を愛された」ということを行動で示しました。愛しているという感情ではなく、行動を伴う愛でした。

良く投げかけられる質問のひとつに、「神様は私たちを無条件に愛してくれているのか?」というものがあります。

 

ヨハネ3:16に基づくその質問の答えは以下の通りです:

聖書箇所の第一の部分 – イエス(YES)

ヨハネの福音書3:16をベースにこの質問に答えると、聖書箇所の冒頭で「はい、神様は無条件で愛してくれています」という答えになりますが、聖書箇所の後半では「いいえ」との回答になります。

 

聖書箇所の第二の部分 – ノー(NO

神様は私たちに愛を差し伸べてくれますが、それを受け取り自分の一部とするかは、私たちに委ねられています。これを良く表している聖書箇所が第1コリント13:4-7です。

神様の愛は、父親の子に対する愛と似ています。神様が私たちを愛しているからといって、私たちが好き勝手に何でもして良い、という訳ではありません。

 

私の子ども達がまだ幼かった頃、彼らは横断歩道の渡り方をよく分かっていませんでした。親として、彼らに注意を払い、信号が近づいてきたらしっかりと彼らの小さな手を握りしめる必要がありました。そして、信号が青になるまで待つこと、渡るときに左右を見渡すように彼らに教えなくてはなりませんでした。しかし、子ども達からすると、横断歩道の先に大好きな遊び場がすぐそこに見えているのに、なぜ信号を待たなくてはいけないのか、理解できませんでした。

 

子供達に信号を待つように止めた行為は、果たして意地悪でしょうか?それとも彼らの好きがってに横断歩道を渡らせるべきだったでしょうか?多くの親は子ども達の安全を守るために、彼らにしつけをすることに賛成することでしょう。大人は、子ども達がまだ危険だと理解できていない行為が何であるかを理解しているのです。

 

ですから、私は彼らを守り訓練する必要があるのです。決して私が意地悪だからではなく、彼らを愛しているからそうするのです。神様と私たちの関係も同じです。神様の道は私の道より高く、神様はその先に何が待っているのかを知っているからこそ、私は彼の近くにいる必要があります。神様によって満たされ、訓練され、そして愛される必要があるのです。私のあなたへの祈りは、神様の無条件で行動に伴う愛を受け取れるようになることです!