けれども、キリストは私たち一人一人に、それぞれ賜物を与えてくださいました。ご自分の豊かな賜物の宝庫から、お心のままに与えてくださったのです。聖書の詩篇の作者は、こう言っています。「(キリストは)復活してサタンに打ち勝ち、勝利を得て天に帰られた時、人々に惜しみなく賜物をお与えになった。」ここで、キリストが「天に帰られた」という点に注意してください。つまり、最初は天の一番高い所におられたのに、地の一番低い所に下られたことを意味します。この下って来られた方が、天の一番高いところに帰られたのです。それは、キリストが、底辺から頂点に至るまで、あらゆる点であらゆるものを満たすためなのです。さてこうして、ある者には使徒としての賜物が与えられ、ある者にはすぐれた説教者としての賜物が与えられました。また、キリストを救い主として信じるように人々を指導する賜物を受けた者もいれば、羊を見守る羊飼いのように、神の民となった人たちの世話をし、教え導く力を受けた者もいます。なぜこのように、それぞれに賜物が与えられたのでしょうか。それは、神の民となった人々が、神のためによりよく働けるよう整え、キリストの体である教会を、力にあふれた、完成した状態へと建て上げるためです。
エペソ人への手紙4:7-12 JCB
これらの贈り物の何が優れているでしょうか?
1.それは嬉しい贈り物であること。イエスの復活は、喜びに満ち、荘厳な出来事でした。
2.これらの贈り物は、自分の努力で得たものではなく、無償で与えられます。
3.誰もが少なくとも一つは持っています。
4.これらの贈り物は教会のためにあります。繁栄している教会では、これらの贈り物がリーダーシップ内で用いられているのです。
復活の贈り物の目的は何でしょうか?
1.他の人を建て上げること(12節)
これらの贈り物について、私はこのような考え方を持つように努めています:重要なのは自分ではなく、他の人を育て上げ、教会を築き上げていくことです。ですから、自分が仕えている分野で支配的にならないように気を付けなければなりません。最終的に、奉仕とは「他の人に仕える」ことだからです。ですから少なくとも、自分がトレーニングしている人たちが自分と同じレベルになることを私たちは望むことができるのです。
“弟子が師より偉くなれますか。しかし、一生懸命努力すれば、自分の師と同じぐらいにはなれます。”
ルカの福音書 6:40 JCB
また、私たちとともにイエスを信じて信仰を持って歩んでいる人たちは、イエスのように、またそれ以上に素晴らしい奇跡を起こすこともできるのです。
“よく言っておきます。わたしを信じる者は、わたしと同じわざを行うばかりか、それよりもさらに大きなわざを行うのです。わたしが父のもとに行くからです。”
ヨハネの福音書 14:12
2.より良い状態に修復されること
古代ギリシャ語には「Kartatiso」という言葉があります。それは、「より良い状態に回復すること」を意味します。漁網が修復されるように、弱い箇所が修復されれば、そこは最も丈夫な部分となります。自分の最大の弱みが最大の強みになるのです。修復された部分は、今や他のどの部分よりも強く、丈夫なものになるのです。
だから、いつまでも「壊れた」状態で居続けることはできません。特別な目的と使命のため、神様に用いられるために修復されたのです。
Kartatiso を説明する言葉が他にもあります:人を育てる、訓練する、増やす、装備する、準備する、不足しているもののギャップを埋める!
そうして、日々の歩みや、愛する天のお父さんとの関係の中で、私は神様と話し(祈り)、神様が私に語りかけてくれるので、私はそのことを特別に書き留めます(ジャーナリング)。また、他の人を赦す中で、私は神様の特別な目的のために整えられているのです。
まとめ(ポイント):
「私には復活の贈り物がある」 − それを発見してください!
そのために祈りましょう!
そして、成長やリーダーシップを強要することなく、その人たちのために祈り、成長するための機会を与え、人々を建て上げていきましょう。
これからの数ヶ月で、あなたは誰の成長を助けることができるでしょうか?